今、僕は途中から引き継いだ社内の読書会を運営している。
読書会を始めるにの当たって以下のルールがあった
- 週に一回業務時間内で1時間行う
- 強制参加ではない
- 初回に集まったメンバーで本を決める
- あらかじめ読んできて、読んできた内容を元に集まったメンバーで議論をする
- 対象はエンジニアチーム全体
このルールを元に今まで4冊の本を読書会で扱ってきている
最初に読み始めたのはチームについての本。次にアジャイルについての本。ここは結構盛り上がった
三冊目に選んだ本は、クラウドサービス関連の本。目的としては社内のスクラムチームのメンバーのみならず、幅広い人に来て欲しかったからだった。当初の狙いを完全に満たすものになったわけではなかったが、まずまずの参加者が来てくれて、盛り上がった。
三冊目を読んでいるあたりから主体的に運営を任せてもらっていた。
四冊目は、ソフトウエアのアーキテクチャなどについての本。今では3~4人の参加者まで減ってしまっていた。
ここで、私は、だんだんと参加者がいなくなってしまうことに焦っていた。
それは1冊目、2冊目に読んだ本の内容をチームで共通言語として得たことにより、それを土台として議論を行うことができるようになった体験を持っていたからだった。
参加者が多ければ多いほど、同じ書籍を読んだ人同士で共通言語を作ることができる。このことによって、チームのレベルがボトムアップしたような体験が、私の中に良い体験として残っていた。
そんな私の理想像とは裏腹に、読書会の参加メンバーは減っていった。
しかし、人数が少ないと読書会の価値はないのか。
よく考えれば、断じてそんなことはない。
毎週興味持って参加してくれるメンバーがいて、本の内容について議論できる状態が作れているのはそれだけで価値があるはず。
そもそも自分が読みたかった本を強制的に読み進められるだけで価値があるじゃないか。
私は暗黙的に目的を「共通言語の醸成」と位置付けていてしまっていて、そうならなかったからだめ!と考えてしまっている節があったことに気づいた。
そもそも、多くの人に来てもらえる施策をしていただろうか。参加のハードルを下げるだけでは、「参加したい」、「参加しなきゃ」と思えるような読書会にすることはできないだろう。
目指すかどうかは別として、もし、本当に多くの人に参加してもらう必要があるなら、今の進め方はあまり得策ではないと感じた。本の選定プロセスや、募集の仕方など、多くの人に来てもらう方法をちゃんと考える必要があると感じた。
まとめ
私はゆるく読書会を運営していたが、人が減ってきたことに焦りを覚えていた。
しかし、そのことに対して何も策を講じていなければ人が去っていくのは自然なことであるし、それは良くないことであるという前提も正しくはないと感じた。
多くの人で読書会をすることに価値はあるが、多くの人に集まってもらうには、そのための施策は別途行う必要があると感じた。
ただ、ひとまず今の読書会に集まってくれている人たちと、楽しく読書会ができればそれでいいと思った。
おしまい